江頭(えがしら) 「江(え)」は、海の一部が陸地に入り込んだ所の意味で、その昔 沢波川に沿った地域や江頭川の中流一帯は入り江だった。そこで、 入り江の「頭(かしら)」に当たるところから「江頭」と言う地名 になった。 |
野黒目(のぐろめ) 「野黒目」とは、ゆるやかな丘の意味がある。常盤小学校から国道 190号線辺りまでの細長い低地で、中を野黒川が流れている。 |
山炭生(やまたぶ) 江戸期の採炭方法は、3〜7mの竪坑を掘って、石炭の層に当たる と2〜3m横に掘って崩れそうになれば別の場所を掘っていた。 この縦坑を「炭生」と言う。山の中で石炭を掘ったので「山炭生」 と言う。山口県自動車学校の西側一帯の山中にあり、常盤池の中に 昭和4年の干ばつで「炭生跡」が発見された。 また、自動車学校の場所は、昭和22〜29年まで常盤炭鉱が操業 していた。 |
兵右衛門屋敷(へいうえもんやしき、ひょうえもんやしき) 超高温材料研究センター付近から常盤池(兵右衛門のエゴ)の辺り にあり、長門では「へいうえもん」、周防では「ひょうえもん」と 言う。則貞の伝え話では、常盤池が造られることになり、常盤原を 出て行く住民に、長であった兵右衛門は「屋敷を確保しておくので 困ったら帰ってこい」と言い、最後まで築造に反対したが、村を去 るときに「これからはお前えがここの主になれ」と、イモリに言い 残した。そこで、常盤池の主は「イモリ」となった。 |