ときわの話し

 その昔、常盤原一帯には1万2千年前頃の旧石器時代を生きた人々がいた、
また、8千年前頃には縄文人が生活を始めた。BC100年頃に、真締川上流
で農耕をする弥生人の村が誕生した。目の前(琴崎八幡宮あたり)には海が広
がっていて、農業・漁業で生活をしていた。

寛文年間頃 常盤山・常盤原では、石炭を採掘していた。常盤池で、昭和4年の干ばつで炭生の跡が発見されている

慶長 2年(1597年)床波浦に真宗海印山西光寺を建立
寛永 元年(1624年)西光寺の本堂を建立
元禄 8年(1695年)福原家の家臣椋梨権左右衛門俊平が常盤原に出張、
            常盤池の築造始まる。
元禄11年(1698年)常盤池が完成。水がなかなか溜まらないので松の木
            を植樹した。
元禄14年(1701年)常盤池普請関係の事務修了する。
        この頃、床波開作を築造し、江頭川を開削する。 
宝永 元年(1704年)常盤池堤の上に末留大明神を祀る。享保年間になって
            草江村田中へ移築
天明 2年(1782年)末留神社を草江村田中より海浜(現児童公園)に移し、
文化10年(1813年)末留神社に石碑建立 この頃再造営[同神廟碑銘]      

明治・大正

安政 4年(1857年)常盤黒岩杉の浴1町歩、常盤東条5反歩に櫨(はぜ)の
            苗を植えつける。
天保年間 (184?年)岐波村片倉に北向地蔵を造立[寺伝]。
宝暦12年(1762年)この頃、床波浦の塩浜で石炭を使用する。
天保11年(1840年)亀浦の七右衛門・九十郎兄弟が南蛮車を考案し、
            炭坑で水の汲み上げに使用、後に石炭も巻き揚げる。

常盤のみじかな歴史や色々な話を紹介します。
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