苧漕場(おこぎば)女夫岩(めおといわ)・揚場(あげば)

 常盤池ができる前には、常盤原から女夫岩を通り瀬戸内まで塚穴川
 が流れていた。この川を舟でさかのぼり常盤原まで荷物を運んだ。
 この場所で、舟を係留したり底の浅い舟に荷物を積み替えたりした
 と言われている。白鳥の島の東側に揚場があり、ここで荷物を降ろ
 して常盤原の集落まで運んだのであろう。
 
 炭生野(たぶの)

 常盤小学校の向かいの台地で、江戸期に石炭が採掘された炭生跡も
 あったが、住宅地となってゴミ捨て場となった。「石炭が生まれる
 野原」と言うことから「炭生野」と名付けられた。
 常盤池ができた頃から、床波・浜中辺りの塩浜で塩釜の燃料が薪か
 ら石炭に代わり、石炭の需要が多くなって農家の副収入で農閑期に
 借地料を払って竪坑を掘り石炭を採掘した。一目散にさっさと掘る
 ことから「一散掘り(いっさんぼり)」と言う。
 水分(みずわけ)

 則貞にあって、水分(みくまり)と言って、水の配分・水量を調節
 する所を言う。草江・野中・則貞の水田に水をどれくらい流すのか
 を話し合い調節をした場所であり近くには水車も設置されていた。
苧漕場にある滝
野中方面の水田
大正6年に池となった女夫岩地

常盤校区の地名由来 C
常盤用水路東幹線分岐
 あたる石で水量を決める
草江   野中